なぜ感情は隠れているのか
どうしてなかなか感情を認識できないのでしょうか。それは、感情からわざと締め出しているか、気づいていないか(これは「深層心理とは」で書いた「心の安全装置」のせいもあります)のどちらかです。なかには自分がストレスをいっぱい持っているのに気付かない人がいます。それが当たり前だと思っているのです。または、そう思うことが人間的にいけないことだと思っているのです。人間は優れた知能のため見事に自分をしつけています。社会の中で生きていくため感情をあらわにしても、自分の思うようには環境を変えることが出来ないことを学んでいきます。つまり、優れた知能を持っているおかげで私達は感情をコントロールし、自分の思考や、行動パターンにうまく取り込んで見事に自分自身をしつけています。子供のころは、感情を認識してのびのびと育ってきましたが、感情の認識の大部分をなくしてきています。しかし、感情は認識できなくても体は反応して体の中で物理的、化学的変化は起こっています。さらに私達は感情をおもてに出さないよう教育されてきています。(年配の方はこれが一番多いと思います)
男と女でも症状の訴え方が違います。例えば、男は中々感情を訴えません。痛い、かゆいなど症状を訴え、女性はやる気がしない、イライラするなど比較的感情を訴えます。
交流分析の中にラケット感情というのがあります。これは、子供の時はいいのですが大人には不適切です。ラケット感情というのは「お気に入りの不快な感情」と言います。例えば「怒る」と言う事で、幼児期に自分の意思を通そうと行動していた人は、「怒る」という行為が「相手に自分の希望を伝えること」だと間違った理解をしています。そして大人になっても「怒る」という行為をすることで、相手に自分の希望を受け入れさせようとします。怒りやすい人や、「怒る」事でしか感情表現できない人はこういった経験をしてきた人です。例えば、誰かに抱きしめて欲しいとします。この行動の本来の感情は「抱きしめて欲しい」です。なのに、抱きしめてくれない恋人に腹を立てて、すねて「怒る」行動をとります。「なんだかイライラする」、「こういう時は察してくれるものなのに」、「どうしてわかってくれないの」、と怒る行動をとります。「抱きしめて欲しい」と相手に伝えればいいことなのですが。この勘違いされたイライラ感情を、ラケット感情と言います。「抱きしめて欲しい」が「イライラする」になってしまいます。本来の基本感情を意識することは(この場合は怒り)問題解決につながります。
コラム
考え(思考)と感情はちがいます。例えば「雪がたくさん降ってきれいだなと感じます。」「僕は早く仕事に行った方が良いと感じるけどね。」これはすべて考えで「感情」とはちがいます。
コラム
よく体を温めるためにお風呂がいいので、朝風呂を勧めるのですが、年配の人は朝お風呂に入ることに罪悪感を持っています。そんなことはできない。ぜいたくである。なまけものである。などと思っています。ぜひ、痛みなどがある人は朝と晩にお風呂に入ってほしいものです。(お風呂の効用)